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平成26年3月18日 木下孝憲氏 「己が変われば」


田主丸生まれ、浮羽工業高校建築科卒業後、東京の昭和電工にて10年間勤務。

故郷に帰って来いで帰省、福岡市の上村建設(アパート・マンション専門)に入社工事監督、営業をしたが営業はダメでやめようと思った時、建てたアパマンの管理会社への出向の話が出た、経験は無かったが入居者が面倒がるわずらわしい事を代行することにより業績上がった。

最初はいやいやながら仕事をした、特に反社会的・・を相手に立ち退き交渉等は大変でした。

をした。

その時「あたりまえ」の対語は「ありがたい」と言う事を学びました。

家庭では妻の事を「おい、こら、やい」と呼んでいたが、大江スーパーバイザーの指導で奥様の名前を呼んでいる。

毎月親に会いに行くことを始めました、ごみ拾いのお話もとても参考になりました。

所詮「ごみ」は無い、人間が作ったものである、ごみ拾いをしているとこちらの心持が変わる事、始めは他人から褒められを期待、次にゴミを捨てた人への憎しみ、それらを経て拾わせていただく感謝の気持ちになるプロセスの話は実際にやってない人には分からないお話でした。

今日3月18日が偶然結婚30年記念日を迎えた木下孝憲法人レクチャラーでした。



  • By 管理人
  • 2014-03-20
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